こんにちは!義足ユーザーのこぶちゃんです!
ついに、「切断に至った経緯」シリーズ後編です。
人工関節再置換手術から切断までの半年あまりは、3000字では書ききれないぐらい大変な出来事の連続でした。全ては語り尽くせないので、ポイントになった出来事だけをピックアップしてみたいと思います。
私は半年の間に、切断手術を含めて3回の手術を受けました。
1回目が感染した人工関節を一度抜去して抗生剤スペーサーを入れる手術。
2回目がそのスペーサーを抜いて新しい人工関節に入れ直す手術。
そして、3回目が切断手術。
2回目の手術後、感染が落ち着くことを願っていたのですが、そう上手く事は運びませんでした。
医師から足を温存する手術も勧められたのですが、私はその手術にトライする前に切断を選びました。
「え?手術がもう一度できたのにやらなかったの?」と疑問に思いますよね。
感染している箇所をさらに切除して、体の別の部分から皮膚を移植して縫合(皮弁)することもできましたが、私はそれを選びませんでした。
その理由は2つ。
① 下垂足(高校生の頃の手術による後遺症)に加えて再置換術をした後に左右の脚に脚長差が出たことで、手術をしたとしても術前のように歩けない可能性があったから
②手術の繰り返しで、終わりが見えない生活に区切りをつけたかったから
もともと綺麗に歩けないことがコンプレックスだったのに、そこに脚長差が加わることで歩き方が変わってしまう自分を受け入れることができませんでした。
また、17歳で治療を始めてから2~3年に一度の頻度で入退院を繰り返していると、治療をする生活から抜け出したいという気持ちが強くなります。
手術となると入院期間も必然的に長くなるので、進学や就職などを途中で諦めざるを得ない状況になることもありました。
私は手術や治療にこれ以上大事な時間を使うことよりも、たとえ足を失ったとしても、自分の人生を穏やかに過ごしたいと思うようになりました。
病気を経験して時間の大切さに気がついたからこそ、こういう気持ちが強くなったんだと思います。
足が残せるのにもったいない! そう思う方もきっといますよね。
私自身も本当に後戻りがきかない選択をこんな形で決めていいのか悩みましたが、最終的に「自分が生きる時間」を選んだことに後悔はありません。
なぜなら、悩みに悩んで自分の納得いく決断をしたからです。
人生で何を大事にしたいか深く突き詰めて考えてみると、選択肢は自然と一つに絞られていきます。
当時の心境を絡めながら、私が切断を選択するまでの半年の軌跡を振り返ってみたいと思います。
日本に本帰国してから
足だけは切断したくない
日本に帰国したのが2018年の大晦日。帰国してからは、荷解きや検査でバタバタした日々を過ごしました。
そんな慌ただしい日々を送る中、ふとした瞬間に考えることと言えば、自分の足のことばかりでした。
私の足どうなっちゃうのかな?なんて考えても、答えは出ないことは分かってはいたんだけどね。無駄に時間があるから考えちゃうんだよね。
ただ、この時点で一つだけ自分の気持ちの中でハッキリしていたことがあります。
それは、「足だけは切断したくない」ということ。
足を残せるのであれば、手術は何回もしようと思う覚悟でいました。出来る限りの治療をして、それでも足を残すことができなかったら諦めがつくと思いますが、そうでなければ仮に義足になった時に後悔が残ると思ったからです。
例えすべて上手くいった場合でも、人工関節を使い続ける限り手術離れられないことは分かってはいましたが、それを天秤にかけても、この時の私は足があることが何より大事だと思っていました。(人工関節の場合、緩みや破損が原因による入れ替え手術を5年~10年に一度の頻度で行うのが一般的です。)
今後の治療方針をどうするか主治医と相談し、すぐに切断するという選択肢は選ばずに、まずは足を残せる方法を試していくという方向で話がまとまりました。
人工関節を抜去するまで
人工関節の抜去
人工関節の感染の治療の中で効果が得られると期待されている外科手術が人工関節の抜去です。
文字通り、感染した人工関節を抜いて新しい人工関節に入れ替える手術です。
この手術の大変なところは、1回の手術で済まないこと。
人工関節を入れ直す前に、抗生剤含有セメントスペーサーを半年間足にいれたままの状態にします。膝のように曲がる機能がある人工関節とは違って、スペーサーはただのセメントの棒です。
つまり、スペーサーを入れている半年間は松葉杖でしか歩けません。
これがこのスペーサーの厄介なところです。セメントスペーサーは膝を曲げて歩くことを目的として作られたものではないので、体重をかけることができないのです。
常に意識を足に向けなくてはいけなかったからストレスが溜まった!半年足を地面に着けて歩けないのって想像以上に大変なんだよね。
正直、そんな大変だったら間を置かずに新しい人工関節を入れてもいいんじゃないと思いますよね?私自身もそう思っていました。
医師の話によると、感染の症状が完全に消失したことを確認してから人工関節を入れ直さないと意味がないそうです。
大がかりな手術になるので、やるからには徹底的にということです。
アレルギー反応と体力の消耗
帰国後2カ月半で人工関節抜去の手術を受けました。10年前の手術でできた手術痕を再度開いて、人工関節を抜いて一時的にスペーサーに置き換える手術です。
手術時間はおよそ6時間。若いとは言え、手術後は体力を消耗してもうぐったりです。
しかも今回の手術は出血が多く、主治医が焦るぐらい手術中に私の顔が真っ青になっていたそうです。
術中はもちろん、術後にも輸血を受けたのですが、その術後の輸血の時にアレルギー反応を起こし体全体に発疹が出てしまいました。輸血自体に問題があったというよりは、輸血スピードが少し速かったので、それに体が反応してしまったみたいです。
やっぱり何度手術を受けても、手術に体が慣れることはないですね。少なからず体にダメージは残るので、元の生活に戻るまでにも時間がかかります。
この時はもう一度人工関節を入れ直す手術が待っていると考えただけで、心が折れそうになりました。
人工関節置換手術を受けるまで
松葉杖生活は想像以上に大変
手術からおよそ1ヶ月半で退院しましたが、退院後の松葉杖生活は想像以上に大変でした。
常に膝の周りにサポーターを巻いて固定しておくのですが、それでもスペーサーを入れた膝はグラグラしたままで安定しません。床に足をつけることもできないので、松葉杖が絶対に必要です。
家の中でも、外でも、どんな時も松葉杖で動くことになります。両手が塞がれてしまうので、初めはコップ1つ持って歩くこともできませんでした。
何をするにしてもいつもの倍以上の時間がかかっていた気がします。幸い私は実家住まいだったので、退院してからも両親の手を借りて生活することができました。
少しずつその生活に慣れてくると、一人でも行動することが増えましたが、転倒してスペーサーを折ってしまわないかいつもハラハラしていました。
雨の中デパートに行ったら、入り口で尻もちついて転んだりしたことがあったよ。膝が変な方向に曲がったんだけど、幸い大事に至らなかったんだよね。その時はかなり焦ったね(汗)
最悪の場合スペーサーが折れることもあるので、細心の注意を払って生活していました。そんな生活を半年間続けた後、やっと新しい人工関節を入れ直す手術を受けました。
術後に感染が再燃するまで
感染が落ち着いたように見えたが・・・
5時間に及ぶ人工関節置換手術は無事成功しましたが、その後の経過は思ったように進んではくれませんでした。
通常であれば術後2週間ぐらいで傷が少しずつ癒えてくるところ、私の場合は傷口から浸出液が少しずつ漏れ続けて傷口がしっかりと閉まらない状態でした。
これは、感染が完全に落ち着いていない証拠です。
抗生剤を2週間点滴し続けても効果なし。浸出液が出ている箇所を除去し再度縫合をしてもらっても、結果は変わらず。
一番恐れていた結果になっちゃったね。この時には感染した細菌の種類も判っていたから、それに効く抗生剤を受け続けたんだけど、改善の兆しは見られなかったんだよね。
ここで主治医に提示された治療方針は二つ。
一つは体の別の場所から皮膚を移植して感染部位に皮弁を作る方法。
もう一つは、切断。
あんなに切断だけはしたくないと思っていたのに、この時私の心は切断に気持ちが傾いていました。
足を失っても自分の時間を大切にしたい
この頃から「足だけは切断したくない」という気持ちに少しずつ変化が生まれました。足の状態がこれ以上良くならない厳しい現実をまざまざと見せつけられたからです。
受け入れるというよりは悟るっていうほうが近いかな。遅かれ早かれ、どこかの時点で自分の足はなくなるんだろうなっていう諦めに近い感情だったかも。
「足は傷だらけだし、今回の手術がうまくいったとしても、生きている間何かしらの不具合が起きて手術を受け続けないといけないかもしれない。こんな足の状態だと、手術を受ける回数も必然的に増える。そんなしんどい生活はもうしたくない。」
これが当時思っていたことです。
このまま足を残し続けるために時間も体力もお金もかけ続けることに意味があるのか分からなくなってしまったのです。それよりも、たとえ足を失ったとしても、病院生活から離れられる人生がいいと思うようになりました。
そんな気持ちにさらに拍車をかけたのが、人工関節置換手術後に負った後遺症でした。
術後の後遺症;脚長差
高校生の頃に受けた手術をきっかけに下垂足になったことはすでにご存知ですよね。
正直下垂足だけでも嫌だったのに、人工関節置換手術の影響で左右の脚の長さに2cmの脚長差*がでることを知った時は相当ショックでした。 *脚長差とは立っている状態で、左右の脚の長さに差がある状態のこと
事前にそうなる可能性は否定できないとは言われてはいたけど、足の長さが違うのを目の当たりにしたらただただショックだったな。
脚長差があると、上下の揺れや、左右の揺れが見られるような特徴的な歩き方になります。また、脚長差が大きい場合には、背骨の湾曲が起こる場合もあると言われています。
「下垂足でも足を引きずったような独特な歩き方になっているのに、脚長差が加わるとどんな歩き方になってしまうんだろう。」
そんなことを考えていると、本当に人工関節に固執し続ける必要があるのか疑問に思うようになりました。
足がなくなるのも時間の問題なんだと悟った時に、義足で綺麗に歩けるようになるのであればそれでもいいのかもしれないと、義足に気持ちが少しずつ傾いていきました。
切断を決断するまで
義足になった自分を想像する
切断の話が持ち上がってから実際に手術を受けるまで1ヶ月もなかったと思います。日に日に切断の選択肢が現実味を帯びてくると、不安の波が一気に押し寄せてきました。
当たり前のことですが、義足になるということは片足を永遠に失うということです。どう頑張っても、切断後に足が生えてくることはありません。
女性だから見た目の変化を受け入れるのに時間がかかるかもって当時思っていたかな。今後のライフイベントを考えた時に、足がないってことが大きく影響する可能性も考えたね。
後戻りができないことだからこそ、一時の感情に流されるのではなくて、慎重かつ冷静に判断を下すことが重要です。
この時の私は考えが日によってコロコロ変わっていたので、今思うとよく最後決断が出来たなと思います。(元々優柔不断なんですよね(笑))最終的には切断を選びましたが、その覚悟が決まったのは手術前日です。
手術前日に主治医に「切断します」って伝えた直後に一瞬気持ちが揺らいだね。伝えるまでも毎日泣いていた気がする。でも、不思議と手術室に向かう時は腹が据わって「これでいいんだ」って心から思えたよ。
こうして最善の選択ができたのは、入院中に義足の人から話を直接聞いてみたり、リハビリ施設に行って理学療法士と話したり、答えを出すギリギリまで出来る限りのことをしたからだと思います。
義足になってから出来るようになることを考えて、ポジティブな気持ちでいることを心掛けました。
義足になるからといって、人生が終わるわけではない。むしろ、義足になることで新しい人との出会いが増えたり、これまでできなかったことができるかもしれない。プラスに捉えるのも、マイナスに捉えるのも自分次第。
また、義足後の姿をできるだけリアルに想像して理想と現実のギャップを埋めたことで、術後に「こんなはずじゃなかった!」と思うことを最小限に抑えることができました。
決断するまで苦しい日々を過ごした分、今は自分の選んだ選択は間違っていなかったと胸を張って言えます。
まとめ
切断手術で長い闘いに終止符を打てたことで、内心ホッとしたというところが正直な気持ちかもしれません。やっと入院生活から完全に解放されたなと。
人生は選択の連続ですが、それにしてもここまで大きな決断はしたことがありませんでした。
自分が何を大切にして、何を優先して生きていきたいのか、自分の価値観が問われた半年間でした。
今は胸を張って切断を選んでよかったと思えていますが、当時は色んな感情と葛藤しながらもがき苦しみました。ただその一方で、沢山もがいた分、今は義足の自分をマルッと受け入れられるようになったと思っています。
半年の出来事をギュッと凝縮したので伝えきれていない部分もありますが、こうしてブログでシェアすることで、同じ境遇にいる誰かの背中をそっと押せていたら嬉しいです。